バッハの森通信 第108号 2010年7月20日発行

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巻頭言 メディタツィオ 新規開講講座のご案内「聖書ヘブライ語」
2009年度統計 日誌

巻頭言

新しい命に感動した経験

バッハの森のもう一つのルーツ

 今年、バッハの森は、創立25周年を迎えました。こういうときは、普通、創設当時の思い出を語り、お世話になった方々に改めて感謝する習わしですが、今回はさらに27年さかのぼり、私が26歳のとき経験したことをお話ししましょう。

 バッハの森を創立するためには、多くの方々のご協力が絶対に必要でしたが、一昨年亡くなった一子と私がイニシアティヴをとらなかったら、バッハの森が始まらなかったことも事実です。そこで、今回は一子の話ではなく、イニシアティヴをとった片割れとして、敢えて私自身の経験を語ることにしました。バッハの森のもう一つのルーツを皆様に知っていただきたくて。

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 当時、私は東京神学大学の学生でしたが、同時にベテスダ奉仕女母の家が開設したばかりの婦人保護施設で働くことになっていました。その6年前、20歳のとき、旧約聖書学を専攻する志をたて、日本聖書学研究所の主事だった深津文雄氏を訪ねたのがきっかけで、それから彼の後をついて回っているうちに、およそ考えたこともなかった奉仕女事業に参加することになっていたのです。

 明治時代以来、日本のキリスト教徒が熱心に推進してきた廃娼運動が実り、売春防止法が施行された年でした。定員50人の婦人寮に、まだ最初の入寮者がたった1人、数名の奉仕女と暮らし始めて数日後のことでした。この寮生は、40代だった思いますが、従軍慰安婦として南方の戦場につれていかれたという過酷な生涯を送ってきた女性で、この寮にたどりついたときは、もう心身共にボロボロでした。

 ともかく、深津さんと一緒に、初めて新築の婦寮を訪ね、たった1人の寮生も含め、全員でお茶の会を開き、新しい生活についていろいろうかがいました。終わりに、立って、皆でコラールを歌いました。その頃、深津さんは、奉仕女のため、次々とコラールの邦訳をしていました。丁度、復活祭直後だったので、“Christ lag in Todesbanden”「キリストは死の縄目につき」を、深津訳で歌いました。 

主は死につながれ/わが罪とけぬ。
主はよみがえり/命をたもう。

 歌っているうちに、あの寮生が泣き始め、しまいに泣き崩れてしまいました。帰り途に深津さんが言いました。「彼女は一度死んだ自分が、本当に復活して新しい命になったことを実感していたんだろうね。ボクらには到底分からない経験だけれど」

 

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 それから4年、この婦人寮で奉仕女の手伝いをした後、30歳のときエルサレムに留学しました。2年の予定が、博士論文を書き終えたら13年たっていました。最後の4年は一子と一緒だったので、音楽的に大いに豊かな生活を楽しみましたが、それまでは、独り自分の部屋で友達のLPから写したテープを、すり切れるほど何回も何回も回しながら、カンタータを“歌って”いました。(聴いていたのではありません)。それも、もっぱら「キリストは死の縄目につき」(BWV 4)でした。特に第6曲、“Hier ist das rechte Osterlamm”「ここに真の過ぎ越しの小羊がいる」が好きで、フィッシャー = ディスカウになりすまして、独りで感動していました。後年、バッハの森を始めることなど、夢毛頭考えていないころの話です。

 これが、バッハの森のもう一つのルーツです。パーソナルなイニシアティヴで始まったバッハの森は、今、お話ししたようなパーソナルな経験に共感し、その分かち合いを楽しんでいただけるような方のご参加を、心からお待ちしております。

(石田友雄)

 

MEDITATIO/メディタツィオ/瞑想

待 望 の 歌

存在それ自体に意味がある“かけがえのない命”

創立25周年記念コンサート(2010年7月4日)で朗読されました。

 「深い悩みより私はあなたに向かって叫びます」(詩篇130篇1節)。絶望の淵から神に呼びかけたこの叫びは、3000年の時を経て、多くの人々のに深い響きを残してきました。「誰があなたのみ前に留まれるでしょうか」という神に対する問いかけは、「誰も生きることはできません」という意味であり、この詩人が命の危機、それも救われる望みがない危機的な状況に陥っていたことを示しています。絶望の淵から神を呼ぶ叫び声に、自分の経験を重ね合わせる多くの人々が、いつの時代にもいたということです。

特別な命の死

 幸い、日常、私たちは命の危険を覚えて生きているわけではありません。むしろ、“生きている”ということを特に意識する必要もなく“自然に”生きています。勿論、病気、天災、事故、戦争、その他諸々の不幸な出来事が、一瞬にして、人の命を奪う恐ろしさを知っています。実際、毎日毎日、日本でも世界各地でも、多くの人々が、病気になり、事故に巻き込まれて命を落としたというニュースが伝えられてきます。しかし、これらの事件は、自分と直接関わりがない限り、たとえその知らせに心を痛めても、それで私たちが絶望の淵に沈むわけではありません。それは、自分の命か、愛する人の命が危険に曝されたときだけのことなのです。

 通常、私たちは“自然に”生きていると申しました。同様に、自分と直接関わりのない人の死は、結局、私たちにとって、人間は死ぬものだ、という法則に従う、一つの“自然現象”にすぎないのです。ですから、絶望の淵から神に向かって叫んだ人は、その命の死を、どうしても“自然現象”として受け止めることができなかったから、叫んだのです。それが彼自身の命か、彼の愛する人の命か不明ですが、(多分、自分の命というより、愛する人の命であったと思われます)、その特別な命が危険に曝されたとき、この詩人は、その原因は、“神を怒らせた”ためであり、“神を怒らせた”のは、罪を犯した結果だ、と理解しました。

 21世紀の現代に生きる私たちには、“神の怒り”や“罪”という表現を、3000年前の人々のように素朴に受け止めることが難しくなりました。しかし、先ずは単純に、絶望の淵から叫び声をあげた人が、何を思っていたのか考えてみましょう。

許しを待ち望む

 彼にとって特別な命が死の危険に曝されたとき、神の怒りの前に誰が生きていけるでしょうか、と詩人は神に問いかけました。このように問いかけてから、彼は自分で答えを見つけ出します。犯した罪のゆえに死に定められた命が、救われる道はただ一つ。罪が許されることしかない。しかし、許しはあくまでも神に乞い願うことであるうえ、必ずしも許されるとは限らない。しかし、ここで彼は、かつて先祖、イスラエルを選んだ神が、「憐れみ深く、恵みに富む神、慈しみとまことに満ち、罪と背きと過ちを許す神」と自己紹介したこと(出エジプト記34章6節)、しかも、その後、イスラエルが神を裏切ったとき、お前を許さないわけにはいかないではないか。それほど、私はお前を深く愛している、と語った(ホセア書11章8〜9節)神であることを思い出しました。従って、今なすべきことは、神を畏れ、神の許しの約束の言葉を信じ、その許しが与えられる時を待ち望むことだけだ。

 このような答えに到達したとき、絶望の淵から叫び声をあげた詩人は、相変わらず同じ苦しい状況に身を置きながら、神の許しの約束の実現を待望する者に変わったのです。

待望の“拠り所”

 このヘブライの宗教詩に、ルターは、説明を付け加え、それを内容豊かなコラールに作り替えました。例えば、「どれほど私たちに罪が多くとも、神の恵み、即ち、許しはそれよりはるかに多い」と説明し、神の許しの約束が、「良い羊飼い」、即ち、イェス・キリストによってすでに実現したと告げます。このコラールに基づくバッハのカンタータは、三位一体後第21主日のために定められた、ヨハネによる福音書4章47節以下の物語の筋を追う形で作曲されました。そこで、このカンタータは、絶望の淵から叫んだ者を、死にかかった息子の救いをイェスに求めた王の家臣、許しの約束を、「お前の息子は生きる」というイェスの言葉、約束実現の待望を、イェスの言葉を信じて家に帰って行った王の家臣の姿、というように具体的な人物と状況に置き換えて描きます。

さて、詩篇の作者は古代イスラエル人、ルターとバッハはキリスト教徒でした。古代イスラエル人が、命の救いを待ち望むことができた“拠り所”は、神自らが先祖に「罪と背きと過ちを許す」と約束してくれたことでした。他方、キリスト教徒の“拠り所”は、良い羊飼いであるイェス・キリストが、自ら犠牲になって罪を贖ってくれたという信仰でした。いずれも説明が必要な“拠り所”ですが、今は敢えて、古代イスラエル人でも、キリスト教徒でもない一般人の普遍的な“拠り所”を探してみましょう。言うまでもなく、その死を“自然現象”ですますことができない、かけがえのない命を、私たちは皆、誰でも持っているからです。

かけがえのない命

 すでに申しあげたとおり、日常、私たちは自分が“生きている”ということを意識しないで“自然に”生きています。それが、突然、自分にとって特別な命が死の危険に曝されたことを知ったとき、初めて「命とは何だろうか」、「生きているとはどういうことだろうか」と考え始めます。当然、各人に各人の特別な命があるように、答えも様々でしょう。しかし、敢えて命の多様性を捨象すると、非常に単純な答えになります。かけがえのない命には“意味がある”という答えです。自分の命に、使命感のような、強烈な意味づけのできる人もいますが、それは稀です。まして、その命が何の役に立つかというような話しではありません。むしろ、意味づけが絶対に必要なわけですらないのです。何も説明できなくても、その命が自分にとって“かけがえのないものだ”と思うとき、その命の存在それ自体に意味があるということです。

 これでは、危機に陥った命の救いを待ち望む“拠り所”として、余りにも希薄な理由だと思いますか。いいえ、“かけがえのない命”の存在それ自体に意味があり、それが救いを待ち望む“拠り所”だということが分からなければ、人の命は、無関係な人の死と同様、結局、一つの“自然現象”にすぎなくなってしまうのです。

創造の目的は愛 

 実は、かけがえのない命の存在それ自体に意味があるという思いは、「神が人の命を創造した」という聖書の思想と本質的に通じています。自分が、或いは、愛する人が、神から与えられた命を生きている、という事実がすべてであって、それ以上、何を神に求めるのか。ただ、神が命を創造した目的は、人が幸福に生きるためであり、この神の善意、乃至は、神の愛を疑うことが“罪”である、と聖書は教えます。だから、人の罪を神は怒るが、結局、愛するゆえに神は人の罪を許すのです。

 もうこれ以上、説明を続ける必要はないと思います。むしろ、「深い悩みより私はあなたに向かって叫びます」という3000年前の叫び声が、通常は“深い悩み”とは無関係の平穏な状況で生きている私たちに、何を示唆するか、皆様一人一人が、それぞれの“かけがえのない命”をめぐって、さらに思いを深めてくださることを期待いたします。

 

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創立目的の継承

 さて、1985年にバッハの森が創立されてから25年の歳月が流れました。この長い歳月の間に、多くの人々が集まり、多くの人々が去っていきました。勿論、創立以来、留まっている方々もいます。それとは別に、創立者・石田一子を含む何人ものメンバーが永眠し、私たちの間から去りました。こうして、バッハの森も自然の法則に従い、流れる歳月と共に、徐々に人が変わり、世代も代わってきました。恐らく25年という年数は、大きな変わり目を迎える準備を始める年を表しているのではないでしょうか。

 このように、必然的にメンバー・チェンジが起こりつつあるバッハの森において、その創立とその後25年間の活動に深く関わってきた者として、今、私が願っていることはただ一つ、創立の目的が継承されることです。実際、バッハの森は、教会音楽という、聖書の思想に基づく偉大な文化遺産を手がかりに、人の命がいかに不思議な、いかに感動に満ちた存在であるかということを、学び、理解し、楽しむことを目的として活動してまいりました。組織としてバッハの森が繁栄することも、不穏当に聞こえるかもしれませんが、この組織の存続すら、“目的”ではあはありません。この25年間追求してきた目的、人の命がいかに不思議な、いかに感動に満ちた存在であるかということを、学び、理解し、楽しむための活動を継承する人々が、日々新たに現れること、それが私の願いであり、待ち望んでいることなのです。(石田友雄)

新規開講講座のご案内

入門講座:聖書ヘブライ語

 皆さん、ヘブライ語を始めませんか。何で、突然、ヘブライ語? と驚く方がいても驚きません。バッハの森25年、いろいろなことを学んできましたが、ヘブライ語講座は初めてです。バッハを歌うためにはドイツ語、ミサを歌うためにはラテン語が必要ですが、ヘブライ語の歌は歌いませんから。でも、私たちが歌う宗教曲の歌詞のルーツは、ほとんどすべて、何らかの意味で、ときには直接、旧約聖書に由来しています。そして、旧約聖書の言葉がヘブライ語なのです。

それでも、何で、突然、ヘブライ語?と思うでしょう。ラテン語やドイツ語、英語や日本語の翻訳じゃ駄目なのか?と。駄目じゃありません。しかし、ヘブライ語を知ると翻訳された歌詞のルーツが見え、まるで別世界です。

さぞ難しいでしょう、と聞きますか? 確かに難しくない、とは言いませんが、それを世界一易しく学んじゃおう、という講座です。日時は9月11日から、毎週土曜日12時〜12時半の30分。この30分だけ集中すれば、予習も復習もいりません。会場は図書室。会費は1回:\ 500。講師は石田友雄。トモオ・センセイが出てくると何でも難しくなる、といううわさが出回っているそうですが、今度は違う、と言っていました。

 ヘブライ語の挨拶を教えておきましょう。「こんにちは」も「さようなら」も「シャローム」。意味は「平和」。 易しいでしょう? それに素敵な言葉です。(T)

  

2009年度統計

集会回数・参加者延べ人数 (2009.4.1〜2010.3.31)

学習コース  回数  延人数
クワイア(混声合唱) 37 611
ハンドベルクワイア 39 227
声楽アンサンブル 36 224
教会音楽セミナー 58 431
コラールを読む 5 27
コラールを歌う 9 96
入門講座:聖書を読む 32 197
オルガン教室 77 111
声楽教室 4 10
クリスマス祝会 1 21

 

公開プログラム  回数  延人数
コラールとカンタータ 33 513
コンサート 4 222

 

運営活動  回数  延人数
運営委員会 12 49
理事会・評議員会 3 31
大掃除&相談会 2 31
資料整理など 3 20

 

その他  回数  延人数
他団体向けセミナー 1 12
見学 2 4
来訪 7 13
取材 2 2

計 367回 2,852人

 

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入退会者数(2009年度) 入会 退会 増減
維持会員 10 16 −6
賛助会員 3 4 −1
13 20 −7
会員数(2009. 3. 31現在)
維持会員 108人
賛助会員 56人
164人

 

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会計報告(2009年度) 単位:円

全体(指定寄付金を除く)

収入の部  
前期繰越 3,203,340
基本財産利息 17,500
維持・賛助会費 1,110,000
寄付 2,212,180
事業収入 5,117,706
雑収入 116,800
11,777,526
支出の部  
事業費 4,740,767
管理費 3,060,826
借入金(一般)返済 360,000
借入金(建物)返済 1,830,000
次期繰越 1,785,933
11,777,526

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指定寄付金(建物維持)増減

収入の部  
前期繰越 2,336,865
寄付 976,400
利息 8,365
3,321,630
支出の部  
借入金返済 570,000
次期繰越 2,751,630
3,321,630

 

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指定寄付金(地上権)増減

収入の部  
前期繰越 664,430
利息 1,708
666,138
支出の部  
次期繰越 666,138
666,138

2010. 3. 31現在
長期借入金(一般) 34,920,000
長期借入金(建物維持) 5,340,000

日 誌(2010. 4. 1 - 7. 4)

4. 9  運営委員会 参加者4名。
4. 17 評議員会 参加者6名。
4. 30 運営委員会 参加者4名。
5. 1-3 バッハの森・ワークショップ 参加者24名。
5. 11 訪問 Maya Ashirova氏(筑波大学大学院生)。
5. 14 運営委員会 参加者4名。
5. 27 建物見学 住友林業(株)筑波研究所より8名、住友林業ホームテック(株)技術開発部より2名。
6. 11 運営委員会 参加者4名。
6. 23 建物見学 1名。
6. 26 理事会・評議員会 参加者9名。
7. 2  運営委員会 参加者4名。
   オルガン調律 三橋利行氏。
7. 3  最初の評議員選定委員会(新法人最初の評議員を選定する特別委員会) 参加者6名。
7. 4  バッハの森コンサート(創立25周年記念)参加者39名。

J. S. バッハの音楽鑑賞シリーズ
「コラールとカンタータ」(JSB)

4. 10 第292回(復活祭第1祝日)、カンタータ「天は笑い、地は歓呼する」(BWV 31);
オルガン:J. L. クレープス「わが終わり迫り」、ジャン=フィリップ・メルカールト。
参加者14名。

4. 17 第293回(復活祭第3祝日)、カンタータ「平安がお前とともにあるように」(BWV 158);
オルガン:J. S. バッハ「キリストは死の縄目につき」(BWV 625)、安西文子。
参加者14名。

4. 24 第294回(ミゼリコルディアス・ドミニ)、カンタータ「私は良い羊飼いである」(BWV 85);
オルガン:J. S. バッハ「いと高くいますみ神にのみ栄光あれ」(BWV 675)、池田福太朗。
参加者11名。

5. 8  第295回(ロガーテ),カンタータ「これまでお前たちは何も祈り求めたことがない、私の名で」(BWV 87);
オルガン:J. S. バッハ「イェスよ、わが喜びよ」(BWV 610)、金谷尚美。
参加者15名。

5. 15 第296回(昇天祭)、カンタータ「信じて洗礼を受ける者、彼は祝福されるであろう」(BWV 37);
オルガン:J. S. バッハ「私はあなたに感謝いたします、愛する主よ」(BWV 347)、池田福太朗。
参加者12名。

5. 22 第297回(聖霊降臨祭第2祝日)、カンタータ「高く上げられた肉と血よ」(BWV 173);
オルガン:J. ヴァルター「今,私たちは聖霊に祈願します」、池田福太朗。
参加者15名。

5. 29 第298回(三位一体祭)、カンタータ「反抗的だが臆すものだ、すべての人の心は」(BWV 176);
オルガン:J. S. バッハ「私たちの主,キリストはヨルダン川へ来られた」(BWV 685)、古屋敷由美子。
参加者12名。

6. 5  第299回(三位一体祭後第1主日)、カンタータ「貧しい人々は食べて満ち足りる」(BWV 75);
オルガン:J. S. バッハ「神がなさること、それは善くなされています」(BWV 1116),當眞容子。
参加者12名。

6. 12 第300回(三位一体祭後第2主日),カンタータ「あぁ、神よ、天より見通してください」(BWV 2);
オルガン:J. P. スウェーリンク「同上」、笠間きよ子。
参加者12名。

6. 19 第301回(ヨハネ祭)、カンタータ「私たちの主、キリストはヨルダン川へ来られた」(BWV 7);
オルガン:J. S. バッハ「同上」(BWV 684)、海東俊恵。
参加者15名。

学習コース

バッハの森・クワイア(混声合唱)4. 10/17名、4. 17/17名、4. 24/12名、5. 8/14名、5. 15/16名、5. 22/17名、5. 29/16名、6. 5/17名、6. 12/15名、6. 19/18名、6. 26/21名、7. 3/20名。

バッハの森・ハンドベルクワイア 4. 10/6名、4. 17/6名、4. 24/6名、5. 8/6名、5. 15/6名、5. 22/6名、5. 29/6名、6. 5/6名、6. 12/6名、6. 19/6名、6. 26/6名、7. 3/6名。

バッハの森・声楽アンサンブル 4. 10/5名、4. 17/6名、4. 24/6名、5. 8/5名、5. 15/5名、5. 22/6名、5. 29/6名、6. 5/5名、6. 12/5名、6. 19/6名、6. 26/6名。

教会音楽セミナー(1) 4. 8/8名、4. 15/7名、4. 22/7名、5. 12/6名、5. 19/9名、5. 26/7名、6. 2/5名、6. 9/7名、6. 16/7名。

教会音楽セミナー(2) 4. 20/7名、5. 18/5名、6. 15/5名。

入門講座:聖書を読む 4. 10/6名、4. 17/7名、4. 24/8名、5. 8/9名、5. 15/7名、5. 22/8名、5. 29/6名、6. 5/6名、6. 12/7名、6. 19/7名。

コラールを読む 4. 10/5名、4. 24/2名。

コラールを歌う 4. 10/9名、4. 17/10名、4. 24/4名。

教会歌を学ぶ 5. 8/11名、5. 15/11名、5. 22/11名、6. 5/7名、6. 12/7名、6. 19/9名。

オルガン鍵盤和声 5. 12/5名、5. 19/6名、5. 26/5名、6. 2/4名、6. 9/5名、6. 16/6名。

オルガン教室 4. 8/3名、4. 15/3名、4. 17/3名、5. 12/3名、5. 15/2名、5. 19/3名、5. 26/4名、6. 9/4名、6. 16/3名。

オルガン練習 4. 1/1名、4. 2/3名、4. 4/1名、4. 6/1名、4. 7/2名、4. 8/1名、4. 9/3名、4. 10/1名、4. 11/1名、4. 13/3名、4. 14/4名、4. 15/1名、4. 16/2名、4. 17/2名、4. 18/1名、4. 19/1名、4. 20/2名、4. 21/3名、4. 22/2名、4. 23/3名、4. 24/1名、4. 25/1名、4. 26/1名、4. 27/2名、4. 28/2名、4. 29/1名、4. 30/3名、5. 5/1名、5. 6/2名、5. 7/2名、5. 8/1名、5. 9/1名、5. 10/1名、5. 11/4名、5. 12/2名、5. 13/1名、5. 14/3名、5. 15/2名、5. 17/2名、5. 18/2名、5. 19/3名、5. 20/3名、5. 21/4名、5. 22/2名、5. 25/3名、5. 26/2名、5. 27/1名、5. 28/3名、5. 29/1名、6. 1/3名、6. 2/2名、6. 3/1名、6. 4/1名、6. 5/1名、6. 8/3名、6. 9/2名、6. 10/2名、6. 11/5名、6. 12/1名、6. 14/3名、6. 15/3名、6. 16/3名、6. 17/1名、6. 18/2名、6. 19/2名、6. 22/3名、6. 23/1名、6. 24/2名、6. 25/1名、6. 29/2名、6. 30/1名、7. 1/2名、7. 2/2名、7. 3/1名、7. 4/1名。

寄付者芳名(2010. 4. 1 - 7. 4)

一般寄付
7名の方々から計709,588円のご寄付をいただきました。

建物維持積立寄付
32名の方々から計256,414円のご寄付をいただきました。