バッハの森通信第76号 2002年07月20日 発行


巻頭言 「『狭き門』より入ろう」

楽しさに通じる難しい道を歩むために

  6月末に、ドイツのディアコニッセ(奉仕女)、シュヴェスター・エリザベートが妹さんを連れて、バッハの森を訪ねてくださいました。40数年前に、私は東京・練馬のある福祉施設で働いていましたが、彼女もそこの職員でした。今回は久しぶりの来日で、多忙な旅程を元気にこなしていらっしゃいました。
  さて、彼女にバッハの森の活動を紹介しながら、「教養音楽鑑賞シリーズ」のために毎週作成している、バッハのカンタータのドイツ語と日本語の対訳資料を見せると、しばらくじっと読んでから、おっしゃいました。「難しいドイツ語ですね。バッハの森にお集まりの皆さんは、大変教養のある方々だとお見受けしました」
  バッハの森のメンバーの実力を知っている私に、このコメントはいささか面はゆい誤解なのですが、説明する時間もなく、そういうことにしておきました。バッハのカンタータの歌詞は300年前のドイツ語ですから、現代のドイツ人には難しい古文です。しかし、私たち日本人には、現代文も古文もありません。ドイツ語は全部同じように難しいのです。

 




  実際、バッハの森のメンバーで、カンタータのドイツ語の歌詞をすらすら読める人はごく少数です。語学力に関して、バッハの森のメンバーは「一般の日本人」です。ただ、ドイツ語の歌詞で合唱し、研究会でその歌詞の音読を「させられて」いるうちに、それまでドイツ語を一度も習ったことがない人でも、いつの間にかドイツ語の歌が分かってきます。大切なことは、努力を続けること、やめないことです。
  本当に難しいのは、ドイツ語の歌詞を発音することだけではありません。「音楽を造る」ことも、実に難しいことです。それ以上に難しいのは、キリスト教に基づく歌詞の意味内容を理解することでしょう。それにしても、私たちは、何でこんな難しいことをしているのでしょうか。




  バッハの森は「狭き門」だ、という誤解に基づく風評がときどき聞こえてきます。この「狭き門」とは、入試や就職に定員以上の希望者が集まり、高い競争率を突破しなければ入れない所を意味する表現です。しかし、それが新約聖書のイェスの言葉に由来し、現代日本語における用法が、イェスの言葉の誤解であることは、余り知られていません。
  イェスは次のように言っています。「狭き門より入れ。滅びに至る門は広く、その道は広くそこから入る者は多し。されど、命に至る門は狭く、その道は細く、これを見い出す者は少なし」
 大勢の人々が殺到して定員を超過するような所は、イェスの考えによれば、「広き門」です。「狭き門」とは、命に至る細い道の入り口で、これをみつける人は少ないと言うのです。この言葉を私流に解釈すると、「命」とは「楽しみ」や「喜び」、「細い道」とは「楽しみ」に到達するための「困難」です。
  ですから、本当の意味で、バッハの森は「狭き門」だと自負しています。みつけさえすれば、誰でも入れますが、その先は「細い道」です。バッハの音楽は、鑑賞することも演奏することも、決して易しくありません。しかし、「難しい道」を歩み続けると、本当の「楽しさ」がみつかります。

  皆さん、ご一緒に「狭き門」を入ってみませんか。本当の「楽しさ」を探す「難しい道」を歩いてみると、その歩み自体が楽しくなってきますから。

(石田友雄)


REPORT/リポート/報告

自分が変化し成長する感動

  前号のこの欄では、新参加者のフレッシュな感想を報告していただきました。今回は3年から5年、バッハの森の活動に参加してきたメンバーに、自分にとってバッハの森とは何か、春に開かれたワークショップをきっかけに考えていただきました。



違和感から共感に
 今回で5回目のワークショップとなりました。毎回、1年の締めくくりのように感じているワ−クショップですが、今年はその10数日後に初めての子を出産したこともあり、その感を一層強くしました。
 昨年の秋に妊娠してからというもの、バッハの森のプログラム、特に土曜日の「カンタータを聴く会」と木曜日の「聖書を読む会」では、直接自分に語りかけられているような錯覚によく陥ったものです。「カンタータを聴く会」(J. S. バッハの宗教音楽)では、教会暦にそって、その季節に応じたコラールとカンタータが取り上げられます。そこでマリアの受胎告知やイェスの誕生を祝うクリスマスを含む教会暦の流れが、まるで胎児の成長を見守ってくれているように思われました。
 「聖書を読む会」では、子供を授かったのが、アブラハムの生涯を学んでいるときでした。アブラハムに子孫と土地を約束した神の契約、かれと共にいることで示される神の祝福などのお話が、タイムリーで興味深く、すっかり引き込まれてしまいました。「人が創り出した概念なのに人を超越している神」が、場面場面に応じて違う描かれ方をしていることを学んでいくうちに、当時の人々の思いの丈がしのばれ、「人は皆違うけれど皆同じ」という友雄先生の言葉の深さを実感することもありました。
 思いの丈と言えば、ワークショップで歌った、バッハのカンタータ第6番“Bleib bei uns”「私たちのもとに留まりたまえ」の第1曲は、何と切実な訴えかけでしょうか。「日が暮れるので、一緒に留まってください」という歌詞が、感情を変化させながら、何度も何度も繰り返されます。最初は率直な願いが、次第に懇願になり、中間のフゲッタでは警笛のような命令口調になり、後半では説得にかかり、なだめすかしさえして、最後には気持ちを吐き出し尽くして、ようやく平静を取り戻す、と私には感じられました。たった1行の歌詞に、どうしてここまで気持ちを込めるのだろうかと、かすかな戸惑いを覚えたものです。しかし、「共にいること」=「祝福」ということを、創世記を読みながら繰り返し学んでいるうちに、今では何てぴったりと思いの丈を言い表した歌詞であり音楽なんだろう、と思うようになってしまいました。
 バッハの森に参加して4年半たちました。この間に、最初、宗教音楽に感じた戸惑いや違和感が、本当の意味を知ることによって、自分のうちで変化することをしばしば経験しました。こういった変化は、宗教画の理解でも起こりますし、違和感の宝庫である聖書では、辛抱して付き合っているうちに、ハッとすることがよくあります。こんなジグソーパズルのパーツを集めては、見えて来た絵柄に喜び、隠された全体像に思いを馳せる、というバッハの森ライフを、これからも続けていきたいと願っています。
(つくば市 古屋敷由美子)


分かって来た本物の音楽
 4年半前に、石田先生ご夫妻が、妻と私を快く迎え入れてくださった日のことを、今でもよく覚えています。それまで、私には合唱の経験が全くありませんでしたが、バッハの森クワイアの一員となり、毎年のワークショップにも参加して、今年で5回目となりました。
 例年、ワークショップの期間中、2回のコンサートのための合唱練習の他に、声楽の個人レッスンを聴講してきました。ヤン・エルンスト氏の合唱指導とマインデルト・ツヴァルト氏の歌唱指導は、本当にすばらしいものです。必要に応じて歌って聴かせながら、見事に曲をまとめ上げていくヤンの合唱指導に感動を覚えたのは、私一人ではないはずです。声楽の個人レッスンについては、年を追うごとに受講生のレベルが上がるため、レッスン内容も高度になり、そのためか、今年はマインデルトがことのほか朗らかに見えました。私も5回目にして初め て楽しく聴講することができました。
 このような合唱練習や声楽レッスンの聴講を通して、にわか合唱団員の私にも、本物の音楽の姿が少しずつ分かって来ました。当然、ワークショップのためにずっと準備をしてきたわけですが、特に、クワイアに入れていただいたとき以来、比留間恵さんが根気強く発声方法の初歩から指導してくださったことをあげておきたいと思います。
 それにしても、私が属したバス・パートの練習が足りなかったことを反省しています。1月からワークショップの準備をしてくださった和田純子さんやヤン・エルンスト氏の表現意図の前に立ちはだかった私たちの音程の悪さを克服すべく、5月から対策プログラムを始めました。ご期待ください。
(つくば市 古屋敷憲之)


心を揺さぶる歌を探し求めて
  バッハのカンタータを生まれて初めて聴いたのは、大学3年生のときである。それは、バッハの森の公開講座で、バッハの森クワイアが演奏したカンタータの一部であった。それまで合唱をしたいという強い願いを持ちつつ、どうしても特定の合唱団に参加できなかった私は、自分が求めていた響きはこれなんだと、こぶしを握りしめて心の中で叫んだ。
 それ以来、大学の授業そっちのけで、バッハの森へ自転車を走らせ、合唱はもちろん、いろいろな研究会やハンドベルにも参加してきた。教会音楽にもキリスト教にも、聖書にも西洋文化にも縁遠かった私には、ここで学ぶことすべてが新鮮で、こんな世界があったのかという、唸るような面白さと学ぶことの喜びを感じた。あれからはや3年が過ぎようとしている。
 バッハを頂点とするバロック教会音楽は、およそ300年前に、私たち日本人にとっては異文化であるキリスト教文化の世界で生まれた。私が学んでいるのは、このバロック教会音楽であるが、具体的には、当時のドイツ人の心の歌、コラールと、コラールを重要な素材とするバッハの教会音楽、カンタータ、及び聖書である。これらの音楽とその背景にある聖書が、どのような考え方に基づいて成立したかを知れば知るほど、自分のものの見方、考え方とは違うことを認識し、人間の文化の多様性に驚く。他方、バロック教会音楽は基本的に言葉の音楽的表現であるにもかかわらず、言語や文化の違いを前提とした上で、なお同じ人間としての共感を与えてくれる音楽だ。オルガンの調べが体内に満ちるとき、合唱の響きに包まれる瞬間、この音楽は、様々な違いを乗り越えて、それを生み出した人々の思いのかけらを、現在に生きる私の心に確かに届けてくれる。バッハの森での3年は、人間が長い歴史の中で生み出してきた「良きもの」が、時代と文化を超えて人の心を揺さぶり続ける、途方もなく豊かな力を持っていることを知っていく日々であった。
 例年5月の連休中に開かれるワークショップで、今回初めて声楽の個人レッスンを受講し、受講者コンサートで歌った。その後で、私の歌を聴いてくださった何人もの方々から、良かった、感動した、というお褒めの言葉をいただいた。人の前で歌ったのは、これが初めてである。それにしては、歌う前に心配していたより声が出た、と思う。それでも、何がどう良かったのか、今でもよく分からない。人の前で演奏するとはどういうことなのか、さらには、人の心を動かす演奏とは何なのか、ということを初めて考えた。いずれにしても、音楽を受け取る側から生み出す側に立場を変えたとき、初めて見えることがあるはずだ。それは、音楽をすること、ひいては人間として生きることの本質と関わっているに違いない。この立場の転換は、バロック教会音楽という偉大な文化遺産の豊かさを、新たな視点で知っていくための道標になると思う。
 バッハの森で、私は、バロック教会音楽が与えてくれる感動に出会ったのだ。この自覚に立った上で、私の心を揺さぶるものが何なのか、しばしば考える。そこには、私が生きていくために最も大切な何かがあるように思われる。この何かを、歌い続け学び続けることによって探し求めていきたいと願っている。
(牛久市 伊藤香苗)



心が洗われる喜び

「バプテスマのヨハネ物語」に寄せられた嬉しい共感

6月30日に、春のシーズンの締めくくりとして、音楽とスライドと朗読で綴る、宗教音楽コンサートを開きました。キリスト教文化の世界の主役は、常にイェス・キリストですが、かれの引き立て役になった脇役にも重要な人々がいます。その一人、、バプテスマのヨハネの誕生と活動の物語を、宗教画と聖書の世界のスライドを背景として朗読劇風に語り、その中に独唱、合唱、オルガ ン、ハンドベルを入れ、多角的に伝えました。
 つくば悠々クラブの皆さんのグループ参加もあり、コンサートの後のお茶の会も盛り上がりました。特に嬉しかったことは、初めてバッハの森の活動に参加なさった多くの方々が、感激したという共感の声を聞かせてくださったことです。寄せられた感想の一部を紹介します。

「すばらしい解説とスライド、そして演奏を聴かせていただき、ありがとうございました。ヨルダン川の水の音が聞こえました。とても分かり易い説明と美しい演奏に感激しました」
(東京都練馬区 R. K.)

 「21世紀は殺伐混沌の始まりとなり、心落ち着かない状況が続いている中で、荘重なオルガンと合唱のハーモニーの響きに浸り、誠に久しぶりに心洗われる想いがいたしました。このような機会に巡り会えたことを有り難く思います」
(つくば市 S. T.)

 「純粋に宗教芸術を文化として身近に取り入れて啓蒙活動をなさっていることに、先ず敬服いたします。久しぶりに生命の洗濯をさせていただきまして、本当に嬉しく、音の美しさに別の世界へと引き込まれてまいりました。このことに感謝申し上げます。どうぞいつまでもお元気にご活躍ください」
(つくば市 R. Y.)



たより

 友雄さん、一子さん
 これは1月1日にいただいた、大変愉快なお手紙に対する、大変遅くなった返事です。本当にありがとうございました。私の返事が遅れた理由は、多忙をきわめていたからです。沢山の仕事にストレスがあり、それでもなお希望を持っていますが。
 まさにお手紙で述べておられるとおり、テロリズム、残忍さ、醜悪さに対して私たちができる唯一の返答は、私たちの精神性であり、愛であり、美しさを得るための懸命な努力です。あなた方のコメントに感謝します。私は今でもなお、バッハの森であなた方と交わした、大変興味深い霊感豊かな会話をしばしば思い出します。2004年〜5年の計画に関するご提案について、私としてはとても嬉しく、最上の方法で参加したいと考えております。それまでにはまだ時間がありますから、お話し合いをしながら日時やプログラムを決めてまいりましょう。恐ろしいニュースばかりの世界にもかかわらず、お元気なことを願って。
4月10日、ウィーン

(ミヒャエル・ラドゥレスク(原文英語))

     5月20日、シュヴェリン  ドイツに帰って2週間たちましたが、今でもまだ、バッハの森でご一緒に過ごした楽しかった時のことを始終思い出しています。皆様の友情と一緒に音楽を造り出した日々を、私たちは大変楽しみました。結果に満足して帰国することができました。ありがとうございました。
 ドイツでは忙しくしています。マインデルトはミュンヘンの近くでコンサートに出演し、私はオランダの聖歌隊の世話をし、先週の土曜日にはオルガンコンサートを開きました。
シュヴェリンではコンサート・シーズンが始まりました。2週間するとシュヴェリンの全合唱団(400人以上)をドームに招いて「合唱の夕べ」を開きます。このためには、沢山の準備が必要です。幸いなことに好天に恵まれています。ほとんど雨が降らず、太陽が輝き、気持ちがいい気温です。
   皆様もワークショップとコンサートの後でゆっくり休み、それからまた、良い経験がもたらした新たな活気で前進なさることを願っています。

(ヤン・エルンスト(原文ドイツ語))


財団法人筑波バッハの森文化財団
〒300-2635 茨城県つくば市東光台2-7-9
TEL. 0298-47-8696 FAX 0298-47-8699
メールによる御質問はinfo@bach.or.jpへどうぞ