バッハの森通信第80号 2003年07月20日 発行

巻頭言

余韻が残る音楽

激しい思いを追体験する感動

 去る6月29日のレクチャー・コンサート「シオンを想う歌」で、バッハの森の初夏のシーズンは終わり、2ヶ月の夏休みに入りました。それから2週間たちました
が、今なお、あのとき奏楽堂を満たした響きの強烈な印象が、余韻となって残っています。それは、何と言っても、詩篇137篇に基づく、W. ダハシュタイン(1487〜1553)の歌詞に由来します。 

流れ行くバビロン/河の岸辺に
座り涙して/思い出すシオン。
重き思いもて/琴とオルガンを
柳に掛けぬ。/この地の民より
はずかしめ、悩み/日ごとに受けて。

 数ヶ月前に戦争があった現在のイラクの首都バグダッドの近郊に、古都バビロンがありました。紀元前6世紀に、バビロニア人はエルサレムを攻め滅ぼし、ユダ王、高官を捕虜にして、はるばるバビロンまで曳いて行きました。有名なバビロン捕囚です。
 詩篇137篇は、このときユーフラテス河の岸辺に座り、シオン(エルサレムの別名)を想って泣いた捕囚民の歌です。さらに続けて、なぐさみにシオンの歌を歌ってみろとバビロニア人に言われたが、このような場所で、どうしてシオンの歌を歌えるだろうか、と歌います。「琴とオルガンを柳に掛 けた」のは、レジスタンスの意思表示でした。(な お「オルガン」は、ラテン 語訳聖書以来の誤訳ですが、ここに掲げた中世の聖書の挿し絵では、文字通り、ポルタティフ・オルガンを木 の枝に掛けています)。
 3節では次のように歌います。

エルサレム、汝を/忘ることあらば
わが右手なえ/貼り付け、わが舌
われのうわあごに/命の限り。

 エルサレムを絶対に忘れないことを表現する、激しい自己呪詛に驚かされますが、この詩篇最後のバビロンに対する呪いはそれ以上に強烈で、余りにも残虐なイメージのため、今回、歌うことを躊躇する人もいたほどです。

いとわしきバビロン/みやこの娘。
汝に報いする/者に幸あれ。
われらを量りし/量りもて汝も
量られるべし。/汝の幼な児を
岩に打ちつける/者に幸あれ。

 これは「望郷の歌」というような生やさしものではありません。ユダヤ人の信仰によれば、エルサレム/シオンは、彼らを選んだイスラエルの神が、その名を置くために地上で選んだ唯一の場所です。ですから、エルサレムを忘れることは、民族のアイデンティティを失うことを意味しました。ただし、この詩はあくまでも祈りですから、バビロンの娘に報復する者も、その幼な児を岩にたたきつける者も、神であって人間ではありません。
 ともかく、このシオンに対する激しい思慕がメシア思想を育て、後にそれがキリスト教の母胎になったことを学ぶと、この詩篇が、偉大な宗教文化史の流れを造った重要な一こまであったことが解ります。
 初代キリスト教徒は、バビロンを悪魔と同一視しましたから、教会音楽では、この詩篇が、悪魔の支配するこの世(バビロン)に捕囚されている人々が、神の国(シオン/エルサレム)を想う歌になりました。
 先日のレクチャー・コンサートでは、この「シオンを想う歌」を、パレストリーナ、M. プレトリウス、シュッツ、シャイト、J. G. ヴァルター、バッハという優れた教会音楽家の作曲で歌い、その後でバッハのオルガン編曲(BWV 653)が演奏されました。これらの音楽の深い響きが、今なお余韻として残っているのです。激しい思いを追体験する感動により、余韻が残るようなバッハの森の音楽活動に、あなたもご参加なさいませんか。

(石田友雄)


2002年度展望と報告

 2002年度は、学習プログラムに参加する会員数が、昨年度と比較して約1割、延べ人数にして、約350人増えました。毎週1回以上参加する会員は30数人いますが、その半数が2つ以上のプログラムに参加しています。中にはほとんど全部のプログラムに参加するため、学校のように、毎日バッハの森に通っている人もいます。今、バッハの森には、活発な雰囲気がみなぎっています。
 バッハの森では、バロック教会音楽を学ぶというテーマを巡り、集まった人たちの要望に応えて、プログラムが変わります。何の強制力もない組織ですから、集まる人が面白いと思わなければ、プログラムは成り立ちません。しかし、同時に、どうしたら総合的に学べるか、という問題がいつも追求されてきました。
 一般的な傾向として、音楽を学ぶ人たちが最も関心を寄せる問題は、音程やリズムであって、歌詞内容ではありません。いわゆる拍子外れでは音楽になりませんから、これは当然のことです。それにもかかわらず、何を表現するか、という問題は、どのように表現するか、という問題と同じように大切なことです。
 2つ以上のプログラムに参加する人が増えたことは、バッハの森の会員が総合的な学習に興味を持つようになったことを意味しています。今年はさらに面白い音楽造りができることが期待されています。


たより

5月17日、シュヴェリン
 一子さんと友雄さん、バッハの森の皆さん
 月曜日(12日)に、私たちは無事シュヴェリンに帰り着きました。帰りのフライトは長く(いつものことですが)、機内食は惨めでした。今、当地は本当によく晴れていますが、寒すぎます。(つくばの戸外の食事は何と素敵だったことでしょうか!)
 すぐ仕事が始まりました。マインデルトは、今日、南ドイツでヘンデルの「メサイア」を歌います。大聖堂聖歌隊は、明日、カンターテの主日のための礼拝で二重合唱のモテットを歌います(パッヘルベルの詩篇、メンデルスゾーンなどです)。
 いつもどうり、バッハの森で私たちは素晴らしい時をすごしました。あらゆることについてお心遣いいただき、有り難うございました。素晴らしいご馳走になり(自炊しなくてもいいことは、何といいことでしょうか)洗濯までしていただいて、ゲストハウスで私たちは我が家にいる心地でした。 
 もちろん、素晴らしい会話やご一緒に計画を立て、ご一緒に音楽ができたことに深く感謝しています。一子さん、友雄さん、それに皆さんと友人になれたことを、とても嬉しく思っています。
 ワークショップとコンサートはとても良い思い出です。バッハの森クワイア(合唱)は大いに上達し、いつものことですが、素晴らしい準備をしていてくださいました。受講生コンサートで、オルガニストの皆さんが初めて試みたインプロヴィゼーションや、声楽受講者の皆さんの感銘の深い演奏を嬉しく思い出しています。今やこれほど大勢の皆さんがアーレント・オルガンを弾けるということは、本当に素晴らしいことです。また降誕・受難・復活をテーマにしたコンサートでは、プログラムの各部に、その独特の性格を与えることに成功したと思います。ハンドベル・クワイアが大変演奏力の高いグループに成長したのも嬉しいことでした。
 CDに収めてくださった多数の写真も大いに楽しみました。これらの写真を見ていると、私たちがご一緒に音楽造りをしながら、大いに楽しい時間を過ごしたことが分かります。リラックスすることもあって、良いグル−プができます。これは音楽をするために重要なことです。
 このようなクライマックスを経験したことが、これからの私たちの日常の仕事に多くの力を与えてくれると感じています。皆さんもさらに音楽する喜びを追求していかれることを願っております。
 私は、今、起きたばかりです。皆さんは合唱練習の真っ最中だと思います。この手紙のファックスが間に
合うよう願っています。
 心からのご挨拶とともに。マインデルトからも宜しくとのことです。

(皆さんのヤン・エルンスト)


6月23日、ケルン
バッハの森の皆様
 早速ですが、(ハンブルク音大の)試験の結果をお知らせします。受かりました!!
 今、丁度、ヤンに電話して、大学から来た手紙の内容を確認し、「確実」に合格という返事をいただきました。なぜ「確実」かというと、テストの翌日にツェーラー教授から試験の合格については電話でお知らせ を受けていましたが、(定員の空)席の問題があり、冬学期から行くことができるかどうか未定でした。今日、皆様に合格のお知らせができて本当によかったです。
 オルガンの試験は思ったより緊張せず弾くことができました。どの試験官も大変好意的で、試験をするというよりは、私の演奏を聴いてくださっているという印象でした。とても心配だった音楽理論のテストは、簡単でした。もっと心配だった合唱指揮のテストは、心配通り、大変でした。
 何はともあれ、テストは無事に終わりました。でもよく考えてみると私はスタート地点に立っただけです。これから始まるのです。
ではまた。

皆様の(大越)はづき


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