参加者の日記帳 - バロック音楽教会研究会

2004.2.27
1)「わが魂は主を崇め」(日本語マニフィカート)第9旋法のオルガンと朗唱。詩を朗読するように歌い、歌うようにオルガンを弾く。最後の全音符を長くしない。noni toni だけでなく、他の旋法でも歌ってみよう。
2) 教会旋法:リディアとミクソリディアは長調のように聞こえ、ドリアとフリギアは短調のように聞こえる。旋法の見分け方は、フィナーリスとどこに半音があるか。
3) BWV 10の構成:第1曲と第7曲(終曲)、それに第5曲(歌詞マニフィカートの結論)に、noni toniの定旋律が用いられている。重要な個所であることが解る。
4) ラテン語マニフィカート(BWV 243)の第1曲〜第4曲の歌詞をドイツ語マニフィカートと比較し、両方、CDで鑑賞した。
5) BWV 10/5 を、アルト、テノール、通奏低音(コンティヌオ・オルガン)にコラールをハンドベルで入れて演奏してみた。コラールが特に美しく響いた。自分でもハンドベルに初めて触ってみて楽しかった。(FA)

「マニフィカート」を第9朗唱調(ノニ・トニ=エオリア)を日本語で交唱。その際、オルガン伴奏者は、できるだけ単純な和音で伴奏する。楽譜の音符はあくまで目安であり、言葉の抑揚に合わせた伴奏をすること。
第5朗唱調(クインティ・トニ=リディア)をラテン語で交唱。ラテン語歌詞のアクセント記号から、ラテン語の抑揚を読み取る。
「マニフィカート」とカンタータBWV10/1〜3の歌詞を比較した。
第1曲:合唱。両者同じ。
第2曲:アリア
マニフィカートの“grose Ding”「偉大なこと」を、“wie wunderbar ... so viel getan, das ich nicht alles zahl und merke”「あなたの御業はなんと不思議なのだろう、それはあまりにも多いので、わたしはすべてを数えることができない」と説明。「偉大なこと」と一括りで表現されていた神の業を、「あれも、これも・・・枚挙に暇がない」と、より具体的に考えた表現にした。
なお、「神の御業」とは、この後に続く(1)神を畏れる者を憐れみ、(2)傲慢な者を追い散らし、(3)権力者たちをその地位から突き落とし、(4)身分の低い者を引き上げ、(5)飢える者たちを良いもので満たし、(6)富む者を空しく去らす、を直接的には指す。
第3曲:レチタティーヴォ
マニフィカートの“seine Barmherzigkeit”「彼の憐れみ」を“Des Hochsten Gut und Treu”「いと高い者の親切(寛容)と誠実」に言い換えている。「憐れみ」とは、親身になって自分のことを深く思いやってくれることであり、そこには裏切りや偽りが決してないものだと、敷衍している。
また、“die ihn furchten”「神を畏れる者」を“die allhier aluf seine Hilfe schaun und ihm in wahrer Furcht vertraun”「神の助けを待ち、真の畏れを持って彼を信頼する者」と解釈。
さらに“die hoffartig sind”「傲慢な者」を“welche weder kalt noch warm im Glauben und im Lieben sein. Die nacket, blos und blind, die voller Stolz und Hoffart sind”「信仰において、愛において、冷たくもなく熱くもない者であり、裸でむき出しで盲目」な者だと説明している。この説明は、ヨハネ黙示録3章15節〜17節「あなたは冷たくもなく熱くもない。むしろ冷たいか熱いかであってほしい。このように熱くもなく冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口からはき出そう。あなたは自分は富んでいる、豊かになった、何の不自由もないと言っているが、実はあなた自身がみじめな者、哀れむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない」の引用だ。すなわち傲慢な者とは、神を畏れて信頼することにおいても愛においても中途半端で、自分の精神的貧しさ、みじめさに対して盲目な者であると敷衍している。
第3曲のレチタティーヴォを朗読と通奏低音で演奏:楽譜で音が高くなっている部分が高揚するところ、急いで読む部分と落ち着いて読む部分のメリハリがついているところが、聞いていて面白かった。また、歌詞を学んだばかりで、バッハがどの言葉を一番にいいたいかが判明した。結局音楽とは言葉の解釈なんだと改めて思う。
第5曲の二重唱アリアとコラール:テノール、アルト、ハンドベル(コラール、)通奏低音で演奏。
どんどん転調していくので、音をとるのが非常に難しい。もっと練習して、調やカデンツを意識して歌わなければならないと思う。ともあれ、テノールとアルトが絶えず押し寄せる波のようにBarmherzigkeit(憐れみ)を繰り返したかと思うと、ハンドベルによるコラールが上からカーン、カーンと刻んでいくのが、神の憐れみに対する確信が表現されているような気がして、心強い気分になる。(KI)

2004.1.30
1) 教会旋法:復習と新たにギリシャ名(ドリア、フリギア、エオリア、イオニア・・・)の説明。
2)「わが魂は主を崇め」(日本語マニフィカート)を第9旋法で交唱し、それにオルガンで和声をつける試みは交替でした。また、BWV 10/7 のコラールに、オルガンで和声をつけ、全員で歌った。
3) BWV 10/5 のDuetto e Corale はシュープラー・コラールの第4曲(BWV 648)になっている。二重唱と通奏低音の特徴を学び、ペダルを手鍵盤に移したり、トランペットのコラール旋律をペダルで弾いてみたり、いいろいろ試してみることができる。
4) 歌詞の続きをドイツ語、ラテン語、英語で比較しながら読んだ。そおすると、原語のラテン語をドイツ語に訳したときに、ひずみがあり、ニュアンスが変わることや、ラテン語と英語が近いことなどを学び、各人の歌詞に関するイメージも話し合って、大変楽しかった。(NK)
宿題: BWV 10/5 とシュープラー・コラールを、いろいろな形で弾いてみる。BWV 10/5の通奏低音を弾く。Evangelisches Gesangbuch(EG)のコラールの中で、教会旋法を用いている旋律を探してくる。(K)

2004.1.16
春のシーズンのテーマ:J. S. Bach,“Meine Seel erhebt den Herren” (BWV 10)
教会カンタータ第10番「わが魂は主を崇め」

1) 教会暦:「マリア訪問祭」(7月2日)のためのカンタータ。「受胎告知」(3月25日)を受けたマリアがエリザベートを訪問して、「マニフィカート」(マリアの讃歌)を唱えた。(ルカによる福音書1章46節〜55節)。
2) ドイツ語マニフィカート(Das deutsche Magnificat):その最初の部分がカンタータ第1曲。
3)教会旋法:カンタータ第10番の第1曲、第5曲、第7曲の定旋律は、第9旋法(Magnificat noni toni)。

16世紀までのヨーロッパ音楽の音階として、8つの旋法があった。16世紀半ばに更に4つの旋法が付加され、全部で12旋法となる。17世紀後半に長調・短調が教会旋法に代わって確立
教会旋法中、エオリアが短調、イオニアが長調となる。
感想:教会暦全体の流れの中で「マリア訪問祭」が説明され、興味深かった。教会旋法の話しはもっと聞きたい。歌詞(マニフィカート)を、ドイツ語だけでなく、ラテン語、英語も用いて読むのでとても面白かった。(HM)
宿題:第9旋法によるカンタータ第7曲のコラール旋律に、最も簡単な和声をつけ、朗唱に合わせてオルガンで弾く。また、通奏低音の数字を弾いてみる。数字が解らない人は、4声をそのまま弾いてみる。教会旋法という「別世界」の扉をほんの少し開けてみた。これからも毎回少しずつ旋法を理解するために努力してみる。(K)